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yuuの一人芝居

yuuの一人芝居

随筆 風の路 6

環境問題のウソ

 昨年の夏は猛暑が続き、今年に入って猛烈な寒波が襲ってきた。
 これを地球温暖化という言葉で言い尽くせるのか。
 ゴア氏が地球温暖化を書いてノーベル賞を貰っているが、あまりの間違いが多いことで教材では使うことが出来なくアメリカでは忘れられようとしている。考えれば歴然のことを南極と北極の氷が溶ければ海水が六米上がると言う奇想天外の仮説を掲げている。南極の氷は溶けて海水になれば蒸発して雪となりやがて南極の氷になるのだ。北極の氷は溶けても海水は増えないのだ。研究結果、南極も北極も氷が溶けてはいないという結論が出ている。
 裏のテレビでは中部大学の教授の武田邦彦氏が地球温暖化は二酸化炭素が犯人ではないと盛ん提言をしている。ゴミの分別はゴミを増やし税金を増やすというのである。分別などしなくて燃やす方が税金を使わなくていいというのである。リサイクルは二酸化炭素を三倍出すし、税金を三倍使ってまでやる必要はないというのである。リサイクルは資源を七倍使いゴミを七倍出すというのである。燃やすと出るオキシダントは人体には無害であるとも述べている。分別をして出したペットボトルや古紙が中国に売られていることは大方の国民は知っている。が、日本のリサイクルの率は低くあとは燃やされているというのである。何のために分別をしていたのか、手間暇をかけて分別し一ヶ月に一度の収集の日に出していたのか、武田氏の言うことが正しいならは、これは詐欺であると言いたい。名古屋市は武田氏の提案で市民の分別を止めさせ一括で集めて燃やすのだという。東京都はあまり分別しているとは聞いていない。区によってはやっていたのかもしれないが。これから名古屋市の様に一括で収集するところが増えそうである。ゴミ袋をバキュームカーに投げ入れると袋が破けて汁が作業員に跳ね返るという事がなくなり、燃えないので石油をかけるという事もなくなるし、税金も多少増えてもリサイクルに使うより少なくてすむというのである。
 ゴミを燃やすとオキシダントが出ると言うので各家庭の焼却炉は避難が集中した。ならば煙草はどうか、微量であるがオキシダントは出る。が、愛煙家がオキシダントでなくなったという報道を聞かない。税金を払っているので行政も文句を言わないのだそうだ。そして、禁煙を叫ぶ人たちもそのことに気がつかないのだ。
 温暖化をした方がいいという。北海道あたりで二度くらい上がり米の作育が出来るようになると言う。沖縄はそのままの気候なのだという。海水は少し上がるが東京が海水の流入で困ることはないらしい。ではなぜエコなのか、そこにからくりがあるという。
 日本の場合、自動車関連に原油輸入の七十パーセントを使っていて、十五パーセントは工業用に、農作物、飛行機、家庭という風に消費されるというのだ。一人の海外旅行でその人がスーパーの買い物袋の何十年物の二酸化炭素の排出と同じであると試算している。スーパーの買い物袋は石油精製の折昔は燃やしていた物で今の技術がそれを創ったのである。
 リサイクルという美名の元でその業者に税金が渡っている現状を詳しく語っているのだ。
 このからくりはにわかに信じがたい物であるが、なるほどと納得させられる。
 このことは世界の科学者の九十パーセントが知っているというのである。
 これから地球温暖化の議論が白熱しそうである。
 パーセンテージには私の記憶違いがあるかもしれないが、そんなに開きがないと思う。
 今のように環境環境と叫んで分別をしエコカーに、エコ家電に、エコ住宅にしても地球温暖化は止まらないというが、学者によっては地球寒冷化を予測する人も出ている。その方が人類にとっては恐ろしいことなのだ。人口爆発の今食料がたちまちなくなると言う飢餓の世界になるからだ。
  だが、限りある資源を節約して使う事は人類にとって大切なことであることには違いない。快適な生活をこれからも望むのであればだが。
 日本に、かつてのような人体に悪影響を及ぼす公害病が起こっていないことは画期的な技術革新がなされている証拠なのである。有害物質を燃やして公害患者を多くだしていたが、有害物質を辞去する技術によって産まれた余剰の物で買い物袋とか自動車事故の折の緩和材が産まれているのだ。
 私も長く公害に携わっているが、リサイクルをすることに反対していた。リサイクルをするとゴミは増え、使い捨ての容器はリサイクルをしているのだからと増え続けることは分かっていたから反対したのだ。それが人間という物だからだ。
これからも地球環境を見守りたい、がその前に人間環境を良くしないと地球環境は良くならないことだけは確かなようである。
 武田教授の説の真偽は数年後に皆様の前で明らかになろう。ウソか誠か・・・。それを待ちたい。                                                                           
春なのか・・・。

 今日は車にヒーターなしでも大丈夫であった。家の中より外の方が暖かいそんな日。
 災難は続く、ウォシュレットが壊れた。色々と直るかと思っていやってみたりたたいてみたりしたが駄目。この前のリフォームの時に変えたのだから三年も立っていないものだ。今までも三年で壊れている。ウォシュレットの寿命はそんなものかと諦めることにした。一ヶ月五百円の償却になる。新しい物を買いに行った。安くて良い物が置いてあったので買った。帰って付けてみたが故障なのか電気が付かない、買った店に文句を言うとその製品は今はないので違うメーカーの物と取り替えるという。買ったものの二倍の値段の物だという。帰って付けてみると今までとは違い余分な物が着いていて付けるのに大変であった。水漏れもなく付けられたが、機能は前に買った物が相当いい。まあ親切に替えてくれたのだから文句は言わないことにした。どだい人間がお尻を洗うのを機械に任すというのが傲慢なのだ。昔は宮武外骨さんが推奨するように朝日新聞で拭いていたのを(当時は朝日新聞の発行部数が一番であったのは頷ける)、誰が考えたのか水で洗うと言う機械を発明したのだ。外骨さんが生きていたらなんと言うだろう。贅沢だ、縄にしろと言うかもしれない。
 災難は二度あることは三度あると言うが、三度目が運に関係していた。まあたいした災難でなくて良かったと、十万円の出費ですんだのだから。
 それより春を感じている。寒かったから余計に春の訪れが待ち遠しい。風の色が変わった、お日様の臭いが変わった。雲の形が変わった。空が微かに近くなった。草花が芽を吹き始めた。誰もささやかないのにみんな春の準備をしている。人間だけが春を待ち遠しいと思っている。もう春が来たというのに。外に出てご覧なさい、そして、あくびをしてご覧なさい、大気はもう春の装いなのです。ありがとうと向かえよう。
 春と聞けばなんだか心が弾みます。こんなに老いていても・・・。
 今までのことをすべて忘れて春を迎えよう。水漏れ、修理、ウォシュレット、みんな忘れて春の準備を始めよう。
「星に願いを」のラルは何処で春を迎えているのでしょう。ラルに訪れた悲しみはきっとラルの心の糧になり成長させてくれるでしょう。おわりとキーボードを打って止めたが今でもラルのことは心に残っています。幸せになれと願っています。そう思うのは春がちかずいているからなのかもしれません。もっと草原の中に生きるラルを書きたかったのですが、書くのがだんだん辛くなりました。それで急いでおわりと書いたのです。何かの拍子にまたラルを書くかもしれません。大人になって行くラルを暖かく見詰めています。
 最近、フェィスブックやツィッターを覗くことがあります。何処が新しく面白いのかと好奇心で見ているのです。朝の三時から四時頃までのつぶやきには勉強になることが沢山あるのです。本音でつぶやいているのが分かるのです。初めてまだ何日かですが、最初はらちもないことをつぶやいてストレスの発散をしていると想っていましたが、時間で違いました。社会の矛盾や変革を提言する人たちが多い事を知りました。一度は閉鎖を喰らいましたがお許しが出ています。今、中東アジアやアフリカで反政府デモが盛んになっているのはフェイスブックを使って呼びかけ広がった物なのです。
 そろそろ、行ってみますか・・・。ツィッターへ・・・。
 春になろうとしていますから・・・。
                                                                                     詳しくは武田邦彦氏の「環境問題はなぜウソがまかりとおるのか」を読んで欲しいと思う。
 


 二月に入ってようやく寒波はひいたようだ。少し気温が上がり過ごしやすくなった。梅の頼りも届くようになっている。寒いが風が心地良い。剪定した薔薇の幹から新芽が伸び始めている。春が来ることを感じた草花が春の準備を始めている。寒さに耐えて物だけが感じる息吹なのだろう。冬芽は春になると綺麗な花を咲かすという。そう言えば鳥たちの囀りが春を運んでくるのだろう。
 ようやく冬の寒さに慣れたというのに春を迎えようとしている。
 私に取っては春は頭の回転を鈍くする物だ。春と限定する必要もなくなっている。年中なのかもしれない。人間の体に丁度良い気温は私の様に鬱を持ち合わせている物にとっては辛い時期になる。春の天気にはほとほと嫌気がさすことがある。気圧が安定していないから耳がつんとして中々戻らない。春眠暁を覚えずではないが眠くてしょうがないという弊害がある。頭はボーとしていて思考力低下する。今まで春に書いた作品はないと言っていい。それは秋にも言える。
 鬱で苦しんでいるときに同じ症状の焼き肉屋のてっちゃんが川崎医大の心療内科へ連れて行ってくれた。てっちゃんは私のところからニ百米ほど行ったところの魚屋に良く来ていた。たばこ屋のまきちゃんも同じような病気で魚屋へ良く来ていた。二人とも魚が目的ではなく父の魚屋を手伝う恵子さんが目当てで毎日のように通っていたのだ。三人は同じ高校の同窓で仲が良かった。店の前の縁台に刺身や干物を焼いた物を置き二人で食べながら美しい恵子さんを見てはため息をついていたのだ。二人は盛んに煙草をくゆらせていたが、目は恵子さんに貼り付けていた。恵子さんは高峯秀子さんばりの可愛い人であった。
三人の三角関係というのであれば話は面白くなるのだが恵子さんは相手にしていなかった。男として見ていないと言うことなのだ。てっちゃんもまきちゃんも大柄であったが気持ちは優しくて温厚な人だった。恋をしていても口に出す程の勇気は持ち合わせていなかった。二人とも美しい片思いをしていたのだ。てっちやんは入院して治療中に酒を飲んで二つの大きな病院を強制退院させられるという猛者なのであったが恵子さんには弱かった。焼き肉屋は嫁さんに任せて魚屋と病院へ通よう日々を送っていたのだ。色の白い艶福な顔立ちの青年であった。北朝鮮の在日三世であった。
 そんなてっちゃんに連れられて病院通いをし出して鬱の症状はだんだん軽くなっていった。薬が効いたのであった。夜眠られるようになった。鉛をかぶったような頭が軽くなっていた。
 そのころ倉敷演劇研究会の土倉さんが、
「おい、生きとるかや」と久しぶりに覗いた。
 演劇の台本を頼み練習を見てくれと泣きついてきた。基礎訓練を見て書いても良いと思った。
 台本を一晩で書いて渡した。その練習にも立ち会った。
 鬱の症状はなくなったが、時に不安発作が襲い何度救急車に乗ったであろうか。それは決まって春と秋に出た。もう死んでも良いと破れかぶれになるしかなかった。開き直ったら意外と楽になっていた。それまで乗れなかった車も「死ぬときはしぬ」と念仏のように唱えながら運転した。
 辻邦生さんや南木佳士さんや五木寛之さんの本が読めるようになった。むずかしい本は理解できないという後遺症は残っているのだが。
 私の演劇の歴史は鬱の歴史なのである。
 青年達と少年達に支えられながら演劇の公演を六十回こなした。家の隣にスタジオ件練習場を創り毎日その階段を上がっていく度に鬱との別れ話が進んでいったことになる。
 日本劇作家協会、財団法人舞台芸術財団演劇人会議、篠田正浩監督作品への出演らの関わりも鬱の何かでのことなのである。
 今はそのすべてを止めのんびりゆったり自分流に暮らしている。なぜか今昔の文学青年に返りつつあるのだ。演劇よりしきりに小説が書きたくなっている。
 若かったころ同人誌を創ってはやめ創ってはやめしたころを懐かしんでいるのだ。そのころの同人は今何をしているのだろうかと想う日々が繰り返されている。皆、才能を持った人たちであった。家庭を守らなければならなくなって止めていったのだ。時折電話がかかってきたり年賀状が転がり込んで元気にしていることを知り我がことの様にうれしくなるのだ。
 心臓病を抱えて何時死んでも良いと言っていたキリスト教徒の丘ちゃん、土地が売れて何億もの金が転がり込んで書けなくなった杉さん、
「女流文学賞」をとり今は踊りの流派を立ち上げ弟子を育てている梅さん、嫁さんがいながら何度も女と駆け落ちをした大さん、全共闘上がりで理屈屋で脳梗塞の後遺症に悩むすーさん、大手新聞の取締役になったますさん、それぞれが自分の人生を生き抜いたのだ。それがまさに小説のようにである。
 寒さに耐えて春を迎えようとしているがその人生に春があって欲しいと祈っている。
 そう言えば焼き肉屋のてっちゃんは夭折したと聞いた。
 春になろうとしている今、そんな感慨にとらわれている。
 地球が温暖化する寒冷化する、そんな事はもう考えなくして、ひたすら書きたい物を書くことにする。
 春から新しい作品を書き始めることにしたのだ。
 今は安定剤を飲むだけになっている。

このところ

 寒い日が続いています。と言っても平年並の気温なのです。少し暖かく春を感じさせてくれてこれからこの調子で春になるのではないかという淡い思いがあったからかも知れません。が、どっこいそうはなりませんでした。これからは三寒四温を繰り返して春のなることは分かっているのですが、今の時勢そう簡単に信じることはできなくなっています。
 今年の寒さでの被害は水漏れ修理三万円、ウォシュレット二万円で五万円也。今住んでいる家は結婚して直ぐに建てたから四十一年間が過ぎて地下に埋め込まれた配管にも錆が出ているのでしょう。直ぐに破裂して水漏れをし出した。家の方は外壁は何回か塗装したが、はげているところがある。家の中は三年前にリフォームをしたので良いが、家人の呆け防止の店はそのままにしている。改装してもいつまでやれるか分からないからである。辞めてここを改装して部屋を作ろうではないかと言うと、やるというのでそのままにしているのだ。十畳のキチンと六畳間が三部屋作れるのだがうんとは言わない。四十年間開けていた店を閉じるとなると寂しいのだろうか。
 昨年は鉢に草花を植えて華やかに飾ったのだが大きな鉢植えの花の咲く木を何本も買える金額をつぎ込んだ。
 外には薔薇が七、八本植えてある。剪定して裸にしていたがこの寒いのに芽を吹き始めている。咲く花も花を開き始めている。いち早く春の気配を感じ取っているのだろう。寒さにやられたものもたくさんあるが芽を出しているものもある。レモンの鉢植えは水分不足か下の方の葉が枯れかかっている。水をやらねばと思っている。この寒さでは水をやって凍らせてはいけないとやらなかったのだが陽当たりの良いところの草木には水が必要なのであろう。つくづく生きていることを目の当たりにして感動している。自然の営みにも深い慈悲があることを感じている。
 世界の反政府運動も無関心ではないが、やはり対岸の火事のように眺めている。
 スッカラ菅の政治にも失望するが、これも国民の責任なのだと戒めている。諦観、静観するしかない。それだけ老いたのかと自嘲している。
 今私に取って重要なのは「林住期」をどのように生きたらいいかなのです。そのためにも「麗老」を書き上げなくてはならないのですが考え込んでいます。書くのを躊躇しています。若いときなら書けたかも知れません。今はあまりに切実すぎて書けないのです。私小説になってしまうことを避けたいという気持ちがあるのです。あまりにも自分が出てしまいそうで怖いのでする。物書きはウソ八百を書くものと思っているのです。朝の六時まで起きて考えていますが・・・。駄目です。
 三月から書き始めようと準備をしていたのですが取りかかれませんでした。寒さに身も心も震えているのです。
 私が老いて行くとき、孫達は日に日に大きくなっています。それを見ていて頬をゆるめているのです。そんな日々に満足はしておりませんが、やはり私の座右の銘の「のんびりゆったり自分流」を決め込むしかないようです。

今日も・・・。 2011年03月05日
 今日も・・・。

 今日も一日が過ぎようとしている。何もしない一日。何もなかった        一日。それを無難と喜ぶべきなのか。感謝をしなくてはいけないのか。          

 夜に近づいて寒くなった。足下から寒さがあがってくる。こんなに寒くなるのだったら草木に水などやらなかった方がよいと今思う。水仙がようやく花を付けた。何か悪いことをしたのか頭をたれているのがおかしい。今頃は梅の花が咲いているかも知れないと思うが、邪魔になって切った。実のなる木々を家には植えないものと言うこともある。昔精舎には花の開く木々は植えなかったのだ。仏に仕える者の心に色が付くのを避けるためであったらしい。今、家の庭に花を咲かす事が多いがそれならば心を惑わす人が沢山出ても良いものだがとも思う。戒めであったのかも知れない。花は誇らしげに咲いてやがてしなびて終わる、その姿を己に当て嵌めて考えてしまうのだろうか。ものの哀れを感じるようになるのか。花の中には開いて直ぐあとに落ちる花もある。何と潔いものかと感心するが人はそうはいかないらしい。何時までも命長らえて権力しがみついていたいものらしい。

「ぱぁと咲いてぱぁと散るそれが男の生き方というもの」と思って見たりする。人とはそうありたい、人の価値は咲いたときではなく散るときに決まると思う。老いて名誉を欲しがるのはどうか、権力にすがるのはどうか、老いていく中でその思いを浄化させていくものではないかと思う。欲心を薄めていく生き方が欲しいと思う。今何と欲に振り回されている人の多いことかと嘆いています。何で保身のバリヤーを築かなくてはならないのか不思議なのです。利害があるからなのでしょうか。何もかも棄てればもっと愉しく楽になり身が軽くなるのにと思うのです。

 どんな人も必ず亡くなります。これだけは平等なのです。

 人生の長短はないと言います。どのように生きたかなのだと言います。損得はないのです。寿命と言い、定めというのかも知れません。

 西行は定めに流されるのではなく定めを流れる生きかたをしたと言います。若くして妻子を棄てて出家したのは定めを流れる第一歩だったのかも知れません。友の急逝、そこにものの哀れを感じたのか、想い人の待賢門院への思いを断ち切るためなのか、定かではありませんがしがらみを解いての判断であったことでしょう。つまり、それが本能であったのでしょう。定めを流れるとは本能で生きると言うことなのだと想うのです。理性ではそうは行かなかったことでしょう。その自由な生き方は異性に慕われました。明恵上人も西行に優とも劣らない慕われ方だったと言います。西行は本能のままに接しています。明恵は毅然と本能を断ち切るため相手にはしなかったのです。そこに本能と理性の違いがあらわになるのです。円位という法名を持っている西行は破戒僧であったのです。その点明恵は僧の掟や戒めを守っています。破戒僧でなかったら色々な和歌を詠めなかったでしょう。

「歌詠みはうたを詠むことで仏を創造しているのだ」

 西行はそんな言葉を語っています。

 西行のようには生きられません。

 私は「のんびりゆったり自分流」な生き方でこれからも生きていくつもりです。これは一軒風流なように思えますが、中々むずかしい、自由に生きるのがどんなに辛いものか、不自由なものか・・・。だが、その中で生きていきたいのです。

それでも諦めずに見ている・・・。

 テレビとパソコンの前から立ち上がることが出来ない。歴史の証人としての義務を果たそうとしている。
 情報はツィッターの方が早くテレビは後を追っている。被害者の生の声が届くのもツィッターである。自然の驚異を罵るでなく、政府のやり方をなじるものはない。食事が少なくても文句は言っていない。水もトイレットペーパーも生理用品も下着もなくても何とも言わずに係員がなしてくれる事に非常に従順なのだ。寒くても毛布が欲しいとは言わない、寒くて眠れなかったという。何という謙虚さだろうか。縁者の死に対しても悟ったように眺めている。激しい慟哭はない。心の置き所を自分の事にだけにおいていないのだ。みんな同じ苦しみを連帯しようとしているように見える。「助かっただけで良い」と言葉少なに言う。みんな、親兄弟や子供と別れを告げているように見える。が、目は失望をした人の物ではない。立ち上がる立て直す気概を含んでいる光が見える。それを見ていてこちらがその人達の心情をくみ取り涙するのです。
 流され全壊し海の藻屑になって跡形もない我が家のあとに立って何を思うか見入っている。絶望と僅かに湧き上がるなにくそと言う闘志が背に見えたようだ。これが東北の人の粘りの精神なのかと驚く。
 救援の遅れにも、物資の遅配にも文句を言わずに黙々と一枚の毛布にくるまって待つのだ。
 政府は東京電力の情報にキュキュとなっていて被災者の支援が後回しになっていると叫ぶのはツィッターの面々である。
 東京を棄て逃避している人たちが沢山いる。同胞が抱える苦しみを感じることのない人たちなのである。命が惜しく、ともに命の光を輝かせて頑張ろうという命をもっていない人たちなのである。自分だけ生きていればいいと言う人たちなのである。人間は一人では生きられないと言うことを知らないかわいそうな人たちなのである。携帯コンロが、電池が、トイレットペーパーが、即席ラーメンがスーパーから消えている。買い占めなのである。保身のエゴなのであろう。
 ツィッターの情報は外国の報道から取る人が多い。政府と東電は情報をコントロールしている。だから信用をしていないのだ。
 民主政府はこの気に及んでも子ども手当に拘って全額を救済財源にしないという。あきれたことである。そんなにマニフェストが大事なのか、もうなくなったも等しい政権の延命を図っているのだ。支援物資を待つ素直な瞳の人たちが見えていない。その欺瞞が暴かれるのは少し時間がいるのか。
 今は誰が悪いと言うことは避けたいが激情が書いてしまった。
 この國は一体どうなるのだろう。
 東海地方に地震が起きている。これは不気味なのである。
 願わくは今のままで終息して欲しいと思う。それなら日本は必ず再生するだろう。が・・・。

疲れている・・・・。

 みんな疲れている。被災者は無論、救助する人たちも極限なのだ。だが、明日を見詰めて一人でもと諦めない。県と政府の救援が遅れているのは確かである。被災者の叫びは政府には届かない。東北は今日も明日も零下四度なのである。雪が降りしきっているところもある。ストーブの灯油がなくなっている。毛布だけが体の体温を保つ手段になっている。被災者は灯油が欲しいという。だが灯油を運ぼうにも道路が遮断されていて運べないと言う。ガソリンがなくなっていて物資を被災者のいる場所へ運べないというのが現状なのである。何もなくなっている。なくなっていると言えば東京では携帯コロンとそのガスはたちまちなくなった。無論電池は、即席ラーメンは、トイレットペーパーは、ガソリンは、不足しているのだ。買い占め不安解消はやれてください。
 私の住む倉敷でも携帯コンロは、ガスは、電池は、即席ラーメンはなくなっている。買い占めもあるが被災地へ送るために買っているらしい。だが、送る手段がないのにどのようにするのか。
 買い占めによる被災者救済が遅れるおそれがあるので辞めていただきたい。
 福島原発の事故を懸念して避難している人たちが各地へ移転し出した。それも良くわかる。濃度の高低で一喜一憂する、生きた心地もしないだろう。原発の事で一番正確な情報を流しているのはイギリスだ。
アメリカはハワイ、太平洋沿岸の人たちが少し神経質になっているという。韓国と台湾と香港と中国は輸入品の放射能チェックをしている。
 東電と東芝の将来を心配する声もある。
 東芝は最高八のマグニチュードを設定して四〇年前に設計したという。無論津波まで計算に入れていないのだ。今の技術とは違う事は言うまでもない。人災か天災か・・・。東電は2004年に世界原子力委員会の地震、津波による災害についての忠告も聞かなかったという。災害対策を甘く見ていたと言うことがささやかれている。
 私は人災であると言う。この地震の國には原発は無理だったのだ。だが、そうすると今の日本の繁栄はなかっただろう。電力が欲しいと望んだ国民にも一端の責任があるように思う。原発をもつことは核をもつことと同意なのであることを知らなくてはならなかった。核の唯一の被爆国の日本が原発の事故で揺れているのです。
原発事故で避難している地方には支援物資も何も入ってこないという。三十キロ範囲に車が入らないというのです。運転手が拒否するというのだ。政府が発表している自衛隊派遣の数の隊員は水増しなのだ。報道が正確なら十万人を超えてなくてはならないのだが、自衛隊に運んで貰えとは言えない、人数が足らないらしい。だが、昨日ようやく十万人が被災地に入ったという。
 国土交通省、産業経済省、防衛省、文科省、なんだかややこしい利権があるらしい。言っていることが一致していないのです。
 今も余震は続いている。どんな気持ちでその余震を感じているのでしょうか。
 被災者は穏やかにまるで何もかも悟った人のようないい顔をしているのはなぜなのか、分からないのです。泣き叫び、ヒステリックになることもなく定めと受け止めているのか、そして、窃盗がないというのです。各国のメディアは賞賛している。
 いち早くインフラを整備して、食料をガソリンを灯油を日用品が被災者に届き暖かく飢えることのない環境で暮らせるようにとせつに願う。
 地震を視察した菅はなぜ国家非常事態宣言を発しなかったのか、なぜ、この人の頭の中には延命しかないように思う。
 昨日アメリカの大型輸送機が仙台空港に強制着陸し、機材をおろし整備、今日から空港は開かれた。これで支援がやりやすくなったと言っていい。自衛隊機どんどん降りてこい。放射能を気にすることもなく太平洋上に原子力空母を展開して救援に当たっている。「お友達作戦」これは本物だ。

ー希望を棄てないで頑張ってください。もうすぐです支援の手が届きます。それまで気を強く持って待っててください。国民は皆あなたとともにいます。心はあなたたちの側に行っているのですー
 

 いやになる・・・。

 震災から一週間が過ぎた。
 いやになる情報が充ち満ちている。
 「計画停電」というしろものだ。もっとメディアは節電を強く言わないのだろうか。中途半端に停電をすると何も出来ないだろう。大病院は自家発電の装置をもっているから良いとしても、小さな透析を行っている病院などはお手上げなのである。
「節電」を求めるにはまず民放の下らない放送を辞めて十二時時には放送を辞めるべきではないか。なぜ民放のテレビ局は計画停電に入っていないのか、地震発生の時から地震報道をしのは日本テレビとNHKだけであった。そのあとはどの局も同じような内容で悲惨な画像を流して絶唱していた。東京電力に遠慮しながら原発の情報をながし、計画停電をまことしやかに言い続けていた。そのかいがあってか、テレビは公共性があるというので停電をしなかったのか、今は下らない放送を節電もせずに垂れ流している。民放も輪番性でよいのではないかと思う。節電して停電をしないことにしなくては経済が疲弊する、人の心も不安でパニックになり買い占めに走ることになるのだ。
 政府もこんなことを想定して東と西をつなぐ電力変換器の敷設ををなぜにしていなかったのか、していたら蓮ほうの分からず屋が削減していたかも知れないが、しておくべきであったのだ。百年に一度来るか来ないかの津波に対処するスーパー堤防を辞めさせたのも蓮ほうなのであるから。罪作りな馬鹿女である。馬鹿女と言えばもう一人いる、辻元だ。神戸の震災の時に「自衛隊は違憲なので自衛隊からの支援物資を貰わないように」とビラを配り叫んでいるのだ。その彼女が何の因果かボランティアを仕切るというのだからお笑いである。菅は何を考えているのか、頭がおかしくなっているのかと言いたい。この女もくそ女である。
 シーベルトのまやかしにだまされてはいけない。避難している人はその数字が一時間あたりという嘘に気づかなくてはならない。圏内にいると言うことは何時間も被曝していると言うことなのだ。ご用学者の言葉を丸呑みしてはいけないという。その欺瞞に気づいている外国は日本からの退去をしているのだ。大使館の機能を九州に移しているのだ。人間には治癒能力があるがその限度を超えているかも知れないと言うことを知らねばならない。三十年間は福島の野菜も果実も水も魚も食べられないというのだ。また、飛翔した放射能に汚染された野菜を食べた動物から人間への過程で何千倍になって放射能が人間の口にはいるというのだ。体内被曝をするから食べられないのだ。
 こんなことを書いていると頭がおかしくなり心臓が痛くなる。こんな時にしっかりあらゆる物に接して勉強しなくてはならないのです。自分を守り子孫を育てるために・・・。
 房総沖の海底にエネルギーがたまっているらしい。
 焼津の井戸が温泉になっている、と言う情報もある。
 日本はこれからどうなるのか・・・。未曾有の国難が起こっているがまだ続くのか・・・。

 こんな日本にも春が来る。花は蕾を付け始めた。
 倉敷で気をもんでいるが、もどかしい・・・。明日起きたときに平穏であって欲しいと思う。祈りを繰り返しながら・・・。明日を向かえるのです。

長期戦になる・・・。

 被災地への支援物資が届くようになった。がそれば十分ではなかろう。にぎりめし一個に比べたらよくなったという程度なのである。ガソリン、灯油が依然届いていないのだ。一番酷いのは原発の退避勧告で逃避してきた人たちがいる地域だ。支援物資やガソリンや灯油はくるのだがいわき市に入ろうとしない運転者が多いという。運転手を捜さなくてはならないらしい。これは風評差別である。もっとも起きてはいけないことなのである。菅が幾ら貝割れを食べたとて解決できる物ではなかったことがその査証であろう。
 私はこのブログで海へ客船や貨物船を待機させてはどうかという提言をした。二次津波を警戒していたのかそれはなされなかったが、今ようやく船によって救援物資が届くようになった。自動車や貨物列車とは比べものにならないくらいの物量が揚げられるのである。言ってみれば一番効率が良いのだ。間に合って良かったと思っている。飛行場もようやくその役目を果たせそうなのもうれしい。これから陸続と物資は被災地へ流れ込み被災者の手元に届くことは頼もしい限りである。
 今日がれきの中から八十歳のお年寄りと十六の少年が助けられたと言うことは大きな光である。まだ生存している人がいるかも知れないのであることを実感出来た。諦めずに救助に全力を注いで欲しいと思う。
 原発の事故で三号機へ向けての放水は焼け石に水だとか気休めだとかと言う声を聞くが何もしないよりした方がいい。素人考えでも信じてそれをして貰いたいと思っている。だが、なぜ、他のところからの送電線を引くことを早くやらなかったかと言う疑問である。重油の貯蔵庫が津波で流されてディぜールの発電機が使えないと分かった時点でなぜ送電線を引くということが思いつかなかったのか不思議なのである。電力のプロである、一番に思いつくのが当たり前なのではなかったろうか。いささか遅すぎるの感がある。現場も本社もこんな状態になるとは想定していなかったのではないか。現場の意見が吸い上げられなかったのは、現場に入っているのは東電の社員ではない、すべてと言っていいほど下請けの社員であったのだ。聞く話に寄れば東電は下請けの社員を差別していたと聞く。だから聞く耳を持たなかったと言うこともある。メーカーの東芝、日立の社員にすら差別的であったと聞いた。そう言う東電体質があった言うことはあ事実てあったらしい。悲しいことにそれを管理監督する保安院は素人団体であったことである。許可を出し検査をし認可をする人たちが素人とは何という組織なのであろうか。テレビに出て説明している人は一年半前は特許庁にいたと言うことである。
 放水が万良く事故を終息させてもそれからが大変なのである。炉の中の燃料棒と使い済み燃料棒を五年間は冷やし続けなくてはならないのだ。大きく壊れて壁も天井もなくなった三号機四号機は燃料棒の貯蔵プールがあるのでそこから放射能が飛散するのである。いかに冷やしても僅かであるが漏れるのである。ロシアではそれをコンクリートで固めたのであるが日本もそうしなければならなくなるのか、東京ドームのような物で覆わなくてはならないことになるのだ。使い済み燃料の貯蔵庫として建設中の青森の施設はまだ出来ていない。果たして今回の事故で大きな反対運動が起こり出来なくなるかも知れないのだ。そうなると使い済み燃料は香炉の建て屋の中に造らなくてはならなくなる。これはこの事故で立証されたように危険きまわりないものになるのだ。今になっても福島第一原発は廃棄とするが第二は大丈夫だから運転する気でいるのだ。まさに気が触れたとしか言いようがない。地震と津波はもう来ないという理論らしい、が考えても見てくださいもう四十年も稼働している炉なのである。そして監督しているのが素人の集まりの保安院では心もとなくて夜も眠られないのだ。保安院の上層部は天下りの人たちがひしめいているらしい、東電の幹部もこれまた天下りの温床なのである。責任を取らない団体なのである。
 ああここまで書いて何かむなしい感じがしている。寒さに震えている。
 自衛隊の方達、東京消防隊の方達、警察官の方達、それに東電の社員の命を捨てた行動には頭が下がりお礼の言葉もありません、が、東電の社員とは下請け会社の社員であるのです。現場に入っているのは東電の社員は僅かであとは安い賃金の下請けの社員なのです。危ない仕事は東電の社員はしないのです。そのことも認識しておいていただきたいのでする。無事に収まれば東電の社員の誉れになり、しくじれば下請けの社員がと言うことになるのです。大手のやりそうなことで、メディアはそのことをはっきりと報道しなくては下請けの社員は浮かばれません。
 いやらなったのでこの辺で辞めます。

 庭の薔薇が日に日に芽を出し大きく枝を広げだしている。遅い水仙もようやく花を開きました。時の巡りは確実に春なのです。そんな花を見ても悲しいのはなぜでしょう。みんなが春を喜ぶことが出来ないと言う現実を知っているからなのです。ありがとうと大きな声では言えません。見て少し頬を膨らませるだけ。
 起きテレビを付ける前に昨日よりは良くなっていますようにとスイッチを入れています。そんな毎日です・・・。心に大きな穴が開いているようなのです。
 これからの日本がどうなるのか考えています。広瀬隆さんは二千五十年には日本はなくなっているかも知れないと書いてあった本をもう十年くらい前に読みました。それが現実感を帯びてきたことに恐怖を感じています。
 だが、四季は色々の草花を咲かせて励ましてくれるでしょう。何もここで落ち込んでいられないのです。再生しかないのです、これからみんなが幸せになれる本当の国作りが始まるのです・・・。

来たか・・・。

 とうとう私が懸念していたことが現実になりつつあることに心配をしている。それは食物、野菜の汚染である。葉物が最初にやられた。放射能を含んだ雨が葉に当たりそこを残留したのだ。それならば綺麗に洗えば食しても良いと思うのだが、畑の汚染でそこに生育した物であれば少し困難な物になる。洗っても残留物はとれないからだ。これは食しない方がいいだろうと思う。汚染された牛乳を飲むと人間の体で何百何千と増えるので辞めた方がいいのだ。乳牛から人間へと言う食物連鎖なのだ。簡単に言うと乳牛の汚染が1とするとその牛乳を飲んだ人間は100倍にも1000倍にも増幅されて汚染物質が体内へはいると言うことなのである。
 わたしが一番におそれているのは魚類である。小さい魚を少し大きな魚が食べそれをまた大きな魚が食べてと言う連鎖が途轍もない、食物連鎖を起こして最後に人間が食べるときには何千倍の汚染された物質が体内に入ると言うことなのである。これは何とかという法則なのだが忘却している。これを唱えた女史の名前が付いていたと思う。これはわたしがゴルフ場建設に反対していたときに芝を綺麗に見せるために蒔く除草剤が川に流され小魚が食べそれを大きな魚が食べ食物連鎖をしてやがて人間がと言う、環境ホルモンが人間を滅ぼす、その恐怖の為に戦ったときに感じた物である。
 今、原発の沖の海に放射能汚染が始まったという 恐怖を感じて身が縮こまっている。食物連鎖が起こる可能性が大きくなったことにである。
 今の人間は環境ホルモンに寄ってたたかれ、核の汚染でどうにもならないところまで押しやられている。いや、押しやられそうなのである。
 若いころ原発禁止をみんなで叫びデモもやったことは良いことであったのか、それが若気の危惧であってくれたらと思っていたが、現実に起こっている現状に対して唖然としている。
 言っておくが、核は人間が操作できたり制御できる物ではないのだ。
人間の手に余る物はやらないということが正解なのである。
 原発は国策であった。化石燃料のだす汚染物質に対しての代替えであった。クリーンという美名に包まれていたがいざ事故が起きたときの対策や覚悟が出来てなかったと思う。国民はそれを一切知らされていなかった。一部の人間が知っていただけである。反対していた人たちも高度成長の享楽に飲み込まれたのだ。声はだんだんと小さくなり消えていた。
 福島原発の地はこれから何十年と立ち入り禁止の柵が張られるだろう。
 人間は環境ホルモンによってじわじわと生殖機能を犯され、核により命を奪われるのだ。
 この人間最大の危機にこれからの人間が生きて行くには進化をしなくてはならない。もう一度大きなハードルを越えて生き延びるための進化である。人間という動物は危機を乗り越えることによって進化して今があるとすればそうするより他はないのだ。
 人類は必ず生き延びて進化する。これは過去の事例からも明らかなのである、が脱皮する人類の苦難は計り知れないだろう。
 石原愼太郎の言った天罰は日本人の傲慢で直ぐに金に飛びつく卑しさであり理性のない浮ついた心への戒めであると思う。
 だが、震災復興への心意気は、政府の不手際を除いて、一つのこころになろうとする輪ができつつあると思う。それが救いである。何もかも海の藻屑に、津波で粉々にされた町に佇みながらも目の光は失っていない。地獄に落ちてもはい上がる気力は持っている。この人達は心の進化をしているのだろう。
 さて、エゴをすてて生きることが出来るのか、今、それが問われているのではないだろうか・・・。少しの進化であるがまずはそれでいいと思う。
 あの焦土に流れた「リンゴのうた」は聞こえて来ないのか・・・。あのときに日本人は進化しなくてはならなかったのだ。だが、何か間違った國を造ってしまったのではないか・・・。


思い・・・。

目を覚ますときに地震や津波や原発の事故が夢であったらと思う。そんな日々を過ごしている。国民は皆そのように思っているのではないか。今日生きて、この世の物とは思われない惨状を見せつけられて皆そう思うであろう。まだ海に、がれきの中に一万何千人という犠牲者の方々がいるのです。この瞬間に生きていることがわたしにとって何をいみするのかと問いただしている。歴史の証人なのだ。救援物資は十分ではないという。着の身着のままの被災者は何を思うのか、生きているだけでいい、ありがとうございますとなぜそんなに謙虚になれるのか。
 わたしはその人達の言葉を忘れないでしょう。救われると言うより切ない思いがするのです。わたしの過去のすべてを忘れても二千十一年二月十一日は忘れないでしょう。地震のあった日から数日寝ずにテレビに見入り、ツィッターのつぶやきから目を離さなかった。一刻一刻と変化する様相を脳裏に刻んでいた。津波に押しつぶされた風景はあの戦争の焼夷弾のあとと被さって見えた。岡山の空襲のあとには焼かれた日銀と百貨店の建物しか残ってはいなかった。まさに三陸の港町と一緒であった。日本人はあの戦争で何も学ばなかったというのですか。きっとこの震災の教訓も直ぐに忘れるのでしょう。
 原爆の人類最初の犠牲も原発を持つことで忘れ繁栄のみを追い求めてきた。震災は日本人に自然が突きつけた警告なのではないかと思う。人間としてのつとめを忘れ金のみを追い求め贅沢な生活に憧れてきた日本人への戒めではなかったか。そう書くと被災者の方には本当に申し訳ないのですが、この辺で目を覚まさなくてはならないのではないか。今の心、被災者の方とともにあると言う心を忘れることなく生きなくてはならないのではないのでしょうか。戦後、貧しかったけれどポケットの中には夢があり希望が膨らんでいたし暖かい友情が詰まっていたのでする。そこに立ち返り失った物を探さなくてはならないように思うのです。
「老骨にむち打ってもう一度総理大臣になってこの國を再建させる」吉田茂はそのように言ったのです。わたしが書いた台本の台詞なのですが、そのように気概のある言葉が欲しいと思う。イギリス大使の折毎日日本の政府に停戦を進言してきた人なのです。そんな先の見える人が総理であって欲しいと思う。
 今日、東電の協力会社の社員三名が被曝して二名が病院に搬送された。メディアは協力会社と言うが下請け会社なのです。下請けの従業員と東芝の社員が原発でまるで特攻隊の精神で頑張っているのです。たぶん東電の社員は絶体に危ないところには行かないでしょう。原子力安全保安院の方達はとっくに逃げていましたから。まるで戦争末期の時代に上層部は安全なところにいて命令をだしていたようにである。
 これから一番おそれなくてはならないのは風評被害である。関東大震災の時には、混乱の中、朝鮮人が井戸に青酸カリをいれた、という流言飛語がより混乱を招き朝鮮の方が襲撃をされて多くの犠牲者を出した。こんなことは二度と起こしてはならないのです。
 野菜に魚、飲料水、放射能の汚染は広がっている。怖いの食物連鎖なのです、体内被曝なのです。そのことを政府はいつ国民に告げるのだろうか。
 東北の再建には二十五兆円はいるでしょう。今なら多少の増税もいとわないという人たちが多い、が、まず最初に議員定数削減、俸給の半額カット、歳費をなくする。くらいの英断をして、あとは国民の声を聞かなくてはなるまい。まだ、子とも手当に拘っている内閣ではようやるまいが、子ども手当の全額一兆円を全部回すべきなのだ。ばらまきと言われている物はすべて再建に回すべきなのである。
 被災地の町作りには真剣に取り組んで欲しい。今のままではやがて自分の土地の上にバラックが建つだろう。災害を繰り返さない為にもここは行政が指導して住居はすべて山へと言うようにしなくてはならないだろう。
 わたしが師と仰ぐ井上ひさしさんは岩手の小松市の遅筆堂文庫を開かれている。師が生きておられたらこの惨状を見て何と言われるだろう。嘆かれるであろう。日本の未来の姿は師が書かれた「吉里吉里人」の中にあるように思えるのです。福祉国家で世界の病院、それが師の理想国家であったのだが・・・。

 わたしは今六十九歳、二日前になりました・・・。歴史の証人にしては歳を取りすぎているか・・・。だが、せめて東北関東の再建も歴史の証人として見詰めたいと思う・・・。


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